10周年物語「この10年を振り替えり山本会長に12月まで連載してもらいます」
連載第3回「運命を変えた道場との決勝戦」
3年目をむかえて白虎会に笑顔が戻ってきた。白虎会では年に2回必ずボーリングコンペをして、その後にバーべキューをするのが日課であった。そのバーベキュー中に、ボーリングの優勝者が木津川に放り込まれるのが定番になっていた。
![]() 上写真 川に放り込まれる優勝者 中写真 ボーリング場での1枚 右写真 バーべキューにて表彰式 |
![]() |
![]() |
その当時,、ご父兄の皆さんには、よくバーベキューのお世話をしていただきました。真鍋さんご夫妻は必ず差し入れを持ってきていただき、皆がお腹が一杯になるまで肉を焼いていただきました。また、高橋さんには試合のたびに差し入れや応援をしていただいたり、川野さんには今の白虎会大会の景品の足がかりを作っていただき、試合のたびに応援していただきました。また、荒堀さんにもかなり支援していただきました。
こうして月日が流れていくなかで、井上義則さん亡きあとの少年を誰が指導していくかで頭を痛めていました。当時私も防具をちょくちょく付けて稽古していたので、少年の稽古を適当にしていました。あるとき少年の父兄から一本の電話がかかってきました。「先生、うちの子供を強くしてあげてください。」せっかく青年部にあれだけ強い選手がいるのに、少年には強い選手がいないではないですか。という頭の痛い内容でした。確かにその通りでした。自分が現役の頃、あの水木智司と酒辺健一が子供の頃、一緒に稽古をしていたら何度イライラしたことか。しかし彼たちも私生活は別として拳法では大躍進しているので、少年を指導して行こうと思いました。この日から防具をつけて青年と稽古することをやめました。
さて、いよいよ本格的に少年達との稽古が始まりました。白虎会では少年と青年を分けずに稽古をしています。青年部と一緒に稽古をすることで、親近感を持ってもらい将来この人のような選手になりたいというような憧れを抱いてほしかったからです。ですから青年部と少年部の混成チームを作って稽古をしました。少年部で一番頭が痛かったのは、高橋尚也だった。急に心臓が痛いと右の胸を押さえてきて稽古をサボろうとしたり、ちなみに左胸が心臓やぞと教えると、やっぱりこっちが痛くなってきたと言う始末。わかったものは右手を挙げてと言うと、必ず左手を挙げていた。褒めるとその後いちびるし、怪我もしていないのに異常なほど大袈裟に痛がったり、怒ると試合でよく勝ったのである。それ以来高橋尚也にはいかなるときも怒るようにしている。このとき新たに入門してきた中で荒堀兄弟がいた。姉の荒堀絢美は小学生の4年生のときから、モチベーションが高い子供でした。以前、女子を教えて失敗したことがあるので、心配でしたが彼女にはその心配は無用でした。現在では進学校で有名な四条畷高校に通い文武両道をひた走っている自慢の教え子の一人です。高橋尚也が稽古のときに私が見ていないときにさぼって、よく荒堀絢美に怒られいた。しかし、弟の荒堀和也は姉と違い頭の上にサイダーの泡が沸いているような少年だった。いつも口を開けて訳の分からない質問をしてきた。又、川野新悟もこの時に入門してきたが、稽古のときに意味もなく、いつも泣いていた。泣いている子、口を開けている子、知ったかぶりの子、本当にストレスがたまった。しかし、不思議なもので水木智司、酒辺健一、高橋尚也といった手のかかる子供達になぜか好感が持てました。こういう人間と付き合うと段々自分がおかしくなってきたと思った。子供のときの私もこういう感じだったんではなかったのかなぁ。
平成8年に第2回白虎会大会か行われた。コマツ製作所の体育館をかしていただき、80名が参加していただき、高野山大学の中村知義選手が水木智司に勝って優勝した。この後、前回優勝の北岡勝彦さんと中村知義さんでチャンピオン決戦をして、北岡勝彦さんが勝利した。続いて第3回大会が交野ドームで行われ、120名が参加していただき、高野山大学の中村知義さんが、同門の宇野幸一さんに勝ちV2を達成した。その後、北岡勝彦さんと中村知義さんとで、チャンピオンをかけて戦い、北岡勝彦さんが返り討ちをした。
あけて平成10年。私は、青年部の選手に口癖のように団体戦で優勝と、大きな声を出させて洗脳していた。ほとんどの選手はそんなことは信じてなかったと思うが、何ヶ月もやらした。団体戦は5人で戦うので、当時の白虎会では水木智司と酒辺健一の二人しか星勘定ができなかった。メンバーは水木智司四段24歳、酒辺健一四段23歳、高橋浩二三段31歳、原田勝志三段26歳、西村哲男三段19歳、田中成幸二段24歳の若い6名だった。その中でムードメーカーの宴会部長の原田勝志の調子がすこぶる良かった。私の頭の中にひょっとしていい所までいけるのではないかという心が芽生えてきたのである。原田勝志は試合の三週間前に守口市拳さんに出稽古に行っていた。やる気満々であった。その夜、原田勝志から電話がかかってきた。ひどく落ち込んでいるようで、声もかぼそかった。どうしたと聞くと、出稽古で指を骨折してしまった、それも白帯相手に。以前も好調なときに脱臼したことを思い出した。つきのない男だなぁとつくづく思った。好事魔多しである。その週の稽古に原田勝志の骨折が皆が知ることになり、あきらめムードがただよった。私は一喝して、原田勝志のためにも優勝を厳命した。また水木智司も勤務先が横浜になりながら、それでも土曜日は稽古のために大阪に帰ってきて、翌日は横浜に帰るという日々を送っていた。全員が皆を気づかっていた。
平成10年10月18日、阿倍野スポーツセンターで第31回全日本社会人選手権大会か開催された。原田勝志は応援をやる気満々で会場にやって来た。5人しかいないので、怪我と体力が心配だった。1回戦の相手は北岡勝彦さんがいる昇龍館本部道場だった。3対2で辛くも勝利した。北岡勝彦さんから優勝しろと励まされた。2回戦は大阪府警だった。1回戦の大阪府警の試合を観戦していて圧勝だったので、皆も自信がなさそうだった。円陣に原田勝志も参加させて激を飛ばした。この試合が最後と思って挑めと円陣を組んだ。2対2で大将戦で水木智司が快勝してベストエイトに進出した。次の相手は仏光振武館さんだった。酒辺が快勝して、高橋浩二が対大阪府警でも繰り出した膝蹴りのオンパレードを徹底的に対戦相手にぶちかまして勝利し、西村哲男、水木智司も快勝した。準決勝進出である。しかし、困ったことがおこった。田中成幸だけが3戦全敗で一人だけ蚊帳の外で体育館のすみにいたのである。皆も同情していたが、メンバーは5人しかいなかったので頑張ってもらうしかなかった。準決勝の相手は優勝候補の洪游会さんだった。先鋒に田中成幸を送りだして試合が始まったのである。相手の林選手も一番脂の乗っているときで、ポイントゲッターということもあり不利な状況だった。しかし、田中成幸がこれまでの不振がどこに行ってしまったのか果敢に攻めまくった。白虎会の応援団も悲鳴に近い声を張り上げている。一番声を出しているのが、広津良幸だった。当時、駆け出しの真鍋裕も手に汗を握った。田中成幸が2−0で勝利したのである。私は本当に嬉しかったし、これぞチーム力だった。ここまでくると応援もヒートアップしてきた。続いて酒辺健一が圧勝して、西村哲男に回ってきた。対戦相手の米田さんは1年前完敗した相手であった。しかし、試合が始まると一揆果敢に攻めて2−0の圧勝だった。この後、西村哲男か飛躍したきっかけの試合だと思います。原田勝志が飛び回り喜んでいる。無理もないと思った。怪我の功名とはこういうことを言うんだなぁとつくづく感心していた。結果は4対1で勝利を手中にしたのである。勝った瞬間試合に出られなかった選手が抱きついてきた。むさくるしかったが、嬉しかった。対戦相手の徳永修宗さんも水木智司に優勝しろと激励してくれました。いよいよ決勝戦である。
さて、私は決勝戦までの短い時間に過去のことが走馬灯のように甦ってきていた、8年間この日を夢に思って頑張ってきたからである。決勝戦の前に北岡勝彦さんが話しかけてきてくれた。「山本君の所はまだまだ若いんやからこれから頑張れや」という激励だったが、どうやら二回戦で負けたと思っていたらしい。当時、大淀高校の監督の香美先生からも激励された。「優勝してや」という激励だった。相手の天道会さんは昨年の団体戦で不覚をとり優勝を逃していた。昨年までは豊富な選手層で2チームに戦力を分散させて戦っていたが、それを1チーム凝縮して、全試合圧勝で決勝戦まで駆け上がってきたのである。なにせ昨年の土がつくまでに、7年連続優勝してきたチームだったのです。さぁ試合が始まりました。先鋒は田中成幸と辻井さんだったが0−2で完敗。次峰は高橋浩二で、対戦相手が池田さんだったが、0−2の完敗で大手をかけられた。酒辺健一が竹中さんに0−2、西村哲男が内藤さんに0−2と共に完敗だった。大将の水木智司が雑古さん相手に早々と1本を先取されてしまい、オール2−0で負ける寸前に1本取り返した。その後敗れはしたが、選手達も精も根も尽き果てていたのである。引き上げてくるときに、全員が私に謝ってきたが、良くやったやんかと言葉を返した。本当は泣きたいぐらい悔しかったが、来年に向けて何が足りないかを考えていたのである。表彰式が終わり選手が集まってきて言われた。「先生、天道会に勝たしてください」その言葉か凄く嬉しかった。その夜、皆で浴びるほど酒を飲み干した。戦い疲れた男達の顔が和やかでした。飲みながら、今の白虎会に足りないものは、選手の精神的支柱がいないということだった。私は一人の男の顔が頭に浮かんでいたが、彼が白虎会に来てくれるよう誠心誠意口説いて見ようと思った。まさかその男が翌年の天道会さんとの対戦で大将を努め、ポイントを握るとは夢にも思っていなかった。
それから、地元の枚方広報に準優勝の記事を大きく載せていただき、その後、入門者が増えて道場に活気が溢れていました。
![]() 枚方広報 平成10年11月15日号 掲載 |
![]() 選手一同との酒宴の席にて |
![]() 喜ぶ原田勝志と川野さん |
この年の暮れに第4回白虎会大会が交野ドームで参加170名で行われて、拳友会の西郷隆宏さんが、宇野幸一さんに勝ち優勝して、北岡勝彦さんが怪我で出場できなかったので二代目チャンピオンとなりました。また、川野寿彦さんが寄付をしてくれたたくさんの電化製品が各部門で優勝した選手に手渡された。本当にありがたかった。
平成11年は白虎会の5周年の記念の年でした。全員で「天道会に勝って優勝や」が合言葉になっていた。それまでに神仏に頼ったことのない私が、年明けに伏見稲荷に参拝して打倒天道会を祈願した。
次回は、「グァム遠征と一年越しの天道会との再戦です」9月4日の連載予定です
連載第1回「日本拳法と三人の軟弱後輩との出会い」
連載第2回「白虎会誕生と涙の別れ」