連載第四回「グァム遠征と一年越しの天道会との再戦」
平成11年の新春にグァムに遠征しました。白虎会を創立した平成6年に皆に公約したことがありました。以前いた道場では会費が不透明だったので、月謝をいただいている者のなかで、5年間きっちり月謝を払ってくれていたら、5周年ごとに海外遠征に無料で連れて行く約束をしました。いざ、道場を運営してみたら以外と金がいることもわかりましたが、どうしてもこの公約だけはやり通したかったのです。公約通りに平成11年1月3日に関西国際空港に総勢24名が集合し、一路グァムに向けて出発しました。行きに一番はしゃいでいた水木智司が飛行機でいびきをかいて熟睡していました。この男は寝起きが悪い。そして、乗り物に乗ると口を開けてすぐに眠るし、一番うるさいのである。子供がそのまま大人になったような男であった。
そして、グァムに到着しました。とりあえずその日は全員で中華料理を食べに行きました。そのときに一緒に行っていた高橋尚也のお母さんからお礼を言われました。「本当に公約どおりに海外に連れてきていただいて、子供が大喜びしています。ありがとうございます。日本拳法をやらして良かったです。」というありがたい言葉でした。私の心の中には、こうして真面目に稽古を続けた子供たちが、5年に一度こうして異国の地で改めて拳法していて良かったと思ってくれることが、指導者としては嬉しいことでもあるし、他にこのような道場はないと思うので一生涯拳法を続けてくれたら最高に良いと思いました。また、普段は非常な稽古で鉄拳もふるってきたので、皆に対する罪滅ぼしもありました。
![]() ディナークルーズで記念撮影 右端が問題のオカマ |
![]() スカイダイビング第一陣 若者メンバー セスナの中でちょっと緊張 |
![]() 自由落下で顔がが引きつる 西村哲男 |
さて、翌日ココス島に全員で行きました。午前中海辺で遊んだあとに、何名かでダイビングをしました。また、バナナボートをするものや、一日中ゴロゴロするものもいたりして夕日をみながらホテルに帰ってきました。その夜はサンセットディナークルーズに行きました。オカマショーがあり、原田勝志がオカマに連れて行かれてキスをされていました。本人は最悪と言うてましたが、私の目には、まんざらでもなさそうでした。3日目は各自自由行動にしました。私は何人かを連れてターザという巨大プールに行きました。そのときに一緒に付いて来た水木智司がしんどいので、皆の鞄を見とくので、遊んできてくださいというしんじられない言葉を頂きました。自分中心の男が初めて他人の物を管理するということに驚きました。水木智司は本を読みながら寝そべっていました。20分ぐらいすると人工で波ができてサーフィンができる場所があり、そこで白虎会の子供達が遊んでいました。漫才師のトミーズの雅もそこで遊んでいましたが、しばらくするとサーフィンをしている男をよくよく見ると、水木智司でした。鞄をほったらかしにして一日中サーフィンをしていました。途中、子供が走って順番にならぶと、走るなと注意していました。しかし、本人はいつも走って割り込みしていた。最後の晩に私の部屋に集まり、スーパーで買い物してきたお肉を焼いて、全員で食事をしました。何せステーキ1枚が100円ほどだったので腹一杯食べれました。翌日は8人でスカイダイビングに行きました。高所恐怖症の私はとにかく怖かったのですが、一生に一度と思い参加しました。第一陣が酒辺健一、広津良幸、西村哲男、吉谷孝治でした。上空で光ると10分ほどでパラシュートで降りてきました。4人が最高に気持ちいいと言うのでホッとひと安心しました。続いて私達の飛行機が飛び立ち雲のはるか上空に差し掛かったときに、こんな高い所から飛ぶのと質問しました。するとまだ半分だと言うではないですか、あれだけ騒いでいた水木智司と原田勝志が一切無言になりました。そして、グァム島全体がすっぽり見れるぐらいの高さになったときにダイビングしました。落下するときは非常に怖かったです。着陸後、原田勝志は腰が抜けていました。第二陣のメンバーは逆に気分が悪くなっていた。原田勝志はよほど気分が悪かったのか、大阪に着いても無言だった。

日本拳法新聞 平成11年2月6日号より
その日の昼からメインである老人ホームの慰問に全員で行きました。せっかく月謝を貯めてきたので、少しでも社会貢献をしてほしかったからです。老人達の前で日本拳法の試合をしました。最初は何か不思議な者を見るような目で見ていた老人達が最後の方では声援を送ってくれていました。老人の一人から、第二次世界大戦の時に日本の統治下になって以来の日本語を聞けたと喜んで握手を求めてくれた老人か何名かいました。その後、お菓子とジュースをいただきながら、老人からリクエストされました。日本の歌を歌ってほしいとのことでした。原田勝志が元気がなかったので、原田勝志に歌を歌ってもらいました。原田勝志はなんとタイガーマスクの歌を歌っていました。老人達はオッージャパニィーズソングと喜んでいましたが、歌い終わってから他に曲はないんかと原田勝志に言うと今度はあしたのジョーを歌い出しました。その後、荒堀絢美がチューリップを歌いました。童謡大会になってしまって、なんだかはずかしかったんですが、老人達は喜んでくれていました。その後、解団式を関西国際空港で行い皆無事に帰宅しました。
公約の海外遠征を無事に終えた私には、次なる目標が打倒天道会でした。白虎会は非常に若い選手が多いので、よく大会に申し込みをした後に電話がかかってきたことがありました。四段が3人いるが、現役の大学生と違うのかという電話でした。現役大学生は社会人の試合に出場できなかったからですが、自前の選手だと説明すると褒めていただきました。しかし、若いゆえに試合でとりこぼすことが多かったのです。ましてや団体戦となれば現場から指示が出しにくい環境ですから、精神的支柱がほしかったのです。そこで、一人の男に白羽の矢を立てました。その男は同級生で京都産業大学の片山貞治「現 野島貞治」でした。ある忘年会で知り合いになっていたので、彼に電話をしました。彼は京都産業大学のOBなので、先輩が許してくれるかわからないと言いました。しかし、行きたいと言うが、先輩に話しをするのが怖いと言うのです。私は駄目もとで、京都産業大学の監督である山川幸雄監督に電話をしました。事情を話すと山川さんは笑いながら野島貞治はとっくに峠を越えた選手なんで白虎会に迷惑ではないのかなぁという返事をいただきました。すると山川監督は野島貞治にまた拳法をできるいい環境を与えてあげてほしいと快い返事をいただきました。その後、野島貞治に連絡して白虎会の一員となりました。しかし、野島貞治の参加に対して反発の声もあがりました。野島貞治は白虎会のあまりに厳しい稽古にまったくついてこれずに休みがちだったからです。こんなロートルな人間を使わずに人材は他にいるだろうと言いたかったと思います。またもう一人蚊帳の外にいる男がいました。酒辺健一でした。酒辺健一は、いつも稽古に遅れてきていたので、他のメンバーと意見が合わなかったのです。そのうち稽古に来なくなってしまい、仲介役を買ってでた水木智司と広津良幸と仲介どころか喧嘩になり、ますますまずい雰囲気になってしまいました。そこで、昨年からメキメキと力をつけてきた西村哲男を徹底的に鍛えることにしました。白虎会の中では、タカ派のメンバーが大半で、ハト派は酒辺健一と野島貞治だけでした。昇段級の四段受験で西村哲男が出場していました。水木智司と一緒になって、もし3人抜けなかったならば、居残り稽古を西村哲男にさせるつもりでした。すると西村哲男が3人抜いてしまったのです。しかし甘いことは言わずに、次の昇段級で3人抜かなければ、居残り稽古をさせるつもりが、またまた3人抜いてしまい四段になってしまいました。若干20歳の西村哲男を褒めるしかなかったのです。しばらくして、酒辺健一を自宅に呼び出し、話しをしました。幼少期からよく知っているので酒辺健一の性格はよくわかっているので、なだめたりすかしたりしました。人から期待されているときに頑張らないと、どの世界に行っても付いていけないぞと忠告しました。一度逃げて、ほとぼりが冷めて帰ってこれるのは、20歳までだとさとし本人も納得していました。それから、酒辺健一が稽古に来るようになり打倒天道会が合言葉となりました。
しかし、選手の中には自分のことしか考えていないものも多かったのです。大会の二週間前の稽古に笑いながら気の抜けた稽古をしていた、水木智司、西村哲男、原田勝志などがいたので、防具をはずさせて、全員バービーを1000回やらせました。バービーというのは、直立に立った姿勢から、いっきにしゃがんで腕立て伏せをするのです。分かり易くいうと、スクワットと腕立て伏せを一度にするのです。水木智司、酒辺健一、西村哲男、原田勝志、田中成幸、そして、二軍の真鍋裕にもさせました。真鍋裕は真面目に稽古をしていましたが、勝つということは大変なことだということを肌で感じてほしかったので、気の毒だったのですが、参加させました。皆の前には汗で水溜りができるほどハードでした。九月の残暑が残る体育館の戸は全部閉まっていたので、サウナ状態でした。9時30分が過ぎて体育館が閉まる時間が迫ってきました。他の選手は帰らせていましたが、ぞくぞくと体育館に戻って来ました。頑張れと応援をしてくれているのです。とくに浅川勝美さんは一番声を張り上げて応援をしてくれていました。用務員さんが鍵を閉めに体育館にやって来ました。500回ぐらいを越えたいたので、水木智司や酒辺健一達は用務員さんが天使のように見えたのか、これで終われると思ってホッとしていた。私は事情を話して、勝ちたいから最後までやらしたいと嘆願すると、延長してくれました。おそらく延長してくれたのはこれが最初で最後でしょう。用務員さんも白虎会の活躍を知っていたので、一緒になって応援してくれました。その瞬間6名は絶望感に満ちた顔をしていた。10時過ぎに1000回を最後のものがやり遂げて終了しました。私も目頭が熱くなりましたが、選手達はハァハァと息しながら、応援の人達と天道会に勝って優勝すると誓いあいました。
![]() 菅原神社にて必勝祈願 |
![]() 期待通りの働きができるか心配だった野島貞治 |
いよいよ、第32回社会人選手権大会が行われました。皆で菅原神社でお参りしてから出発しました。会場の阿倍野スポーツセンターに着いてパンフレットを見て驚きました。1回戦はまほろば教室さんで、それに勝つとシードで天道会さんだったからです。なぜ、昨年の一位と二位が二回戦であたるのか不思議でした。対まほろば教室さんのメンバーを発表しました。先鋒、原田勝志 次峰、高橋浩二 中堅、酒辺健一 副将、西村哲男 大将、水木智司の布陣でした。原田引き分け、高橋負け、酒辺勝ち、西村引き分け、水木引き分けとまったく振るわない試合内容でした。全員が何かに取憑かれているように固かった。野島貞治が俺の出番は今日ないかなぁとポツリとこぼした。代表戦でなんとか水木智司が勝利して二回戦に駒を進めた。いよいよ一年越しの天道会さんとの対戦でした。皆に気をひきしめさせて気合をいれた。「やっとお前達の夢が叶ったやないか、悔いを残す試合をするなよ」と対天道会戦とのメンバーを発表した。先鋒は自ら志願した田中成幸、次峰は水木智司、中堅は酒辺健一、副将は西村哲男、大将は野島貞治だった。この発表をしたときに全員が私の顔を不思議そうに見ていた。大将の野島貞治の起用が納得していなかったのはすぐにわかった。この大一番にロートル選手を大将に起用したことが丁半博打のようであった。しかし、私には自信があった。さぁ、いよいよ整列し、挨拶をかわした。
次回は「奇跡が起こるか白虎会の執念」です。9月30日連載です。
連載第1回「日本拳法と三人の軟弱後輩との出会い」
連載第2回「白虎会誕生と涙の別れ」
連載第3回「運命を変えた道場との決勝戦」