連載第七回 
育ってきた若い力と寝不足レポート、
そして境川親方の人情物語

 平成14年をむかえて、正月早々恒例の水木智司、酒辺健一、広津良幸、西村哲男、真鍋裕、荒堀絢美と私の家族と一緒に山中湖に行きました。車が大渋滞するなか、車中で退屈がてら、水木智司が真鍋裕に4タクのクイズの本から皆に問題を出すようにと指示しました。真鍋裕は問題を出しました。「新幹線の東京駅の次の駅はどこでしょうか? 1番、熱海(あたみ)のことを、ねっかいと読んでしまう始末。皆は腹をかかえて笑っていたが、私の心配の種が真鍋裕でした。真鍋裕は小学5年生のときに白虎会の門を叩きました。非常に真面目でおとなしい子供でしたので、あまり印象に残らない子供でした。真鍋裕の学年の前後に11名ほどの練習生がいましたが、私があまりにもきつい稽古をしてしまったので、逃げるようにやめていきました。そんな中、最後の一人が真鍋裕でした。「ねっかい」は正月から気のおもくなる笑いでした。笑われても気にもしない。現代風の感情のない子供だなぁと思い情けなくなりました。追手門大学に入学して、拳法部では、ぱっとしないまま1年が経過していたので、この旅行から帰ってから、真鍋裕とレポートを交換するようになりました。最初は内容がひどくて、とても読める内容ではなかったのですが、笑われたことを肥やしにしろとレポートで返しました。何か、自信を持たすと必ず人は変われると過去の経験から、真鍋裕を変えてみようと思いました。稽古が終わって家に帰り、風呂にはいってから夜中の1時からレポートを書き出して書き終わるのが3時ぐらいだったので、翌日仕事がある私にとっては辛いレポートでした。最初はひどい内容でした。ただ、頑張りますの5行だけだったりとあきれてしまう内容が多かったのです。回数を重ねるごとにレポートの内容が変わってきました。逆にプレッシャーになってきたので、私も眠い目をこすりながら書き続けました。最近ではパソコンの普及率が目覚しいものがあります。しかし、もし私がパソコンで打った字を真鍋裕に返したところで、何も値打ちがないと思っていました。時には弱気になりながらも真鍋裕は自らレポートを提出しました。3月になり、大相撲大阪場所が始まる前に、以前から親交のあった漫才師の若井けいじさんに境川親方(当時、中立親方)を紹介されました。日本拳法の道場主という紹介をされ、親方は土俵横で談笑してくれました。いつも、いいところで負けてしまう相談をしていたところ、突然親方は岩木山関(現、小結。現役最重量)を呼びました。真鍋裕に土俵にあがれというのです。真鍋裕は上着を脱ぎ、飛び入りで岩木山関に稽古をつけてもらいました。岩木山関はまったく動きませんでした。続いて、水木智司が稽古をつけてもらいましたが、まったく動きませんでした。稽古終了後、ちゃんこを囲みながら、激励されました。大相撲の封建的で、厳しい稽古を目の当たりにした真鍋裕は、その後のレポートの内容が変わっていきました。ちゃんこを食べるときも、真鍋裕よりもだいぶ年配の関取達が我々が食べ終わるまで、ずっと横で気配りをしてくれていました。お腹もすいたし、泥だらけになりながらも文句も言わずに接待をしてくれました。その封建的厳しさ、強くならないと飯も食えないといった相撲界の厳しさに真鍋裕はあっけにとられていました。そのときのレポートに「今日の稽古を見て、自分自身本当に見直さなければならない点が沢山ありました。その課題を見直していく為にも、自分を甘やかさないようにしなければなりません。」と言った内容に変わっていました。本当に親方にはよくしてもらいました。現役バリバリの関取と稽古できたのは一生の思い出になったのではないでしょうか。その日から稽古では最後まで声を出して頑張っていました。



寝不足になった真鍋裕とのレポート



 その年の4月に、念願の第2道場を開きました。倉野さんを初め、沢山の人に道場開きを祝っていただきました。責任者に広津良幸を据えて、野島貞治に師範代になってもらい選手の拡張に頑張ってもらうことになりました。


 それから月日が流れて、舞の海関を元々紹介してくれた吉田主税先輩から電話がなりました。吉田さんは元々レスリングの強豪選手でロスオリンピックに日本代表で出場された選手に、対戦成績で勝ち越すといった強豪選手でした。現役時代は長州力と練習したり、又ジャンボ鶴田に伝説のバックドロップを指導した伊達先生とも懇意で、色々と私に対して公私ともよくしてくださる方でした。吉田さんは、徳島県出身で野球の名門池田高校レスリング部出身でした。徳島県に半田町という所があるのですが、そこからかなり山奥に、吉田さんの生家がありました。その上に吉田さんが通っていた、廃校になった小学校がありました。このまま小学校を使わないと取り壊されるので、合宿で使ってほしいということでした。ふたつ返事で受託して現地に向かいました。半田町という所は、素麺で有名な所でした。ということは水がきれいなところということです。自然が満喫できる、合宿ではうってつけの場所でした。しかし、とてもとても道が狭く、バスの運転手が悪戦苦闘をしていました。気の毒なぐらい狭い道で、バスの運転手さんも二度とバスでは運転しない場所でしょう。問題の小学校に着きました。町会議員さんや村の関係者が出迎えてくれました。そこで、稽古を始めましたが、あまりに体育館が汚くて清掃から始めました。しばらくして、稽古を始めると町長までやって来て盛り上がりました。稽古終了後に夕飯が始まりました。吉田さん特製の巨大すき焼き風ちゃんこ鍋が出てきました。町長や町会議員と一緒に、池田高校レスリング部の谷監督もかけつけてくれました。谷監督は元国体チャンピオンで、強化選手のコーチをするなどレスリング界では有名な方でした。翌日、谷監督が稽古をつけてくれました。最初のアップでほとんどの選手がフラフラになっていましたが、白虎会の皆にとって実りのある稽古内容でした。昼からは滝の下で海水浴し、普段の都会の生活からは味わえないものを満喫してもらえました。また、稽古中に地元の役場から取材に来ていただいて、紙面に飾っていただきました。



徳島県美馬郡半田町 2002年半田町広報9月号にて掲載される


  九月になり、また大会が始まりました。総合選手権では、昨年のベスト4の水木智司に期待がかかりましたが、1回戦で敗れてしまいました。続いての龍峰杯では、皆が惨敗してしまいました。しかし、真鍋裕は快進撃を続けていました。一度も勝ったことのなかった関西大学の坂本さんと3回戦で対戦しました。このときの真鍋裕はレポートも冴えに冴えていましたから、気持ちでは負けないようにはなっていました。つい最近の試合で坂本さんにブン投げられて敗れてしまった真鍋裕は一揆果敢に攻め立て、2-0で勝利して次の駒に進みました。ベストエイトも快勝し、準決勝も2-0で勝利し、決勝戦まで突き進みました。決勝戦では龍谷大学の梅野さんとの試合でした。先に1本を先取したのは、真鍋裕でした。しかし、ここから逃げに近い守りに入り、1-2で敗れてしまいました。私は勝負の勝ちに対しては結構うるさく言ってきたつもりでしたが、半年間でこんなに変われるとは思ってもいませんでした。本人の努力がかなりありました。その後、一年間で三段、四段と出世し、稽古ではいつも水木智司や谷川誠と好んで稽古をしていました。

 いよいよ、団体戦の日がやってきました。なんといっても、真鍋裕の活躍にひっぱられての20歳以下の有望選手が増えてきました。広瀬賢二段、奥田新太郎、高橋尚也、笠原祐貴の初段高校生トリオ、荒堀和也、川野新悟、名取優樹、長谷勇典の中学生カルテット。荒堀絢美二段、大谷美沙都初段の女子の活躍も目覚しくなってきました。まちがいなく5年後にはこの子達が主力選手になるだろうと思います。こうして白虎会では打出の小槌のごとく若手の勢いが凄くなっていきました。この大会でこの若者達がここまでやるとは思ってもいなかったのです。さぁいよいよ試合開始が近づきました。


次回は「快進撃で優勝???」は1月10日掲載予定です


連載第1回日本拳法と三人の軟弱後輩との出会い」

連載第2回「白虎会誕生と涙の別れ」

連載第3回「運命を変えた道場との決勝戦」

連載第4回「グァム遠征と一年越しの天道会との再戦」

連載第5回「奇跡が起こるか白虎会の執念」

連載第6回「激闘!28分の戦い」