惰性に流れていたASAです。
年頭白虎会会議で「礼」の話が出ました。
柔・剣道、空手等日本の武道は「礼」に始まり「礼」に終わります。
空手や剣道場には神前がありますので、この礼は「神前に礼」、
神前のない柔道場では「正面に礼」で始まり、最後もこの礼で終わります。
柔道をやる際、この「正面に礼」も全く違和感なくやっていましたが
会議の時、いったい何に対して礼をしているのか、「神前」、「正面」って何、
という疑問が出て、いざ聞かれてみると・・・???、で、調べてみました。
「神」というとイエスキリストのような唯一絶対神を連想してしまいます。
しかし、日本でいう「神」は、「トイレの神様」という歌もありましたが、
「八百万の神」の考え方で、様々な神様がいて、西洋の「神」とは意味が全く違います。
「日本の神」は古事記や日本書紀が源であり、各地にある民話や言い伝え等で
その系譜をたどれば日本人の全ての祖先に当たるもの・・・・・
そして、道場の神棚に祀られているのは、
鹿島大明神(タケミカヅチ)と香取大明神(フツヌシ)という武芸の神様・・・・・
「神前に礼」というのは、別に特定の神様を崇拝しているわけではなく、
自己の父母を敬い先祖を大切にする思いの延長であり、これから稽古をするに当たり、
「日本の神」に稽古中の無事故、技術・精神性の向上等を願うものだと思います。
私自身、無神論者でありますが、「正面に礼」は、
物理的な「神前」がない代わりに、神社仏閣等で手を合わせるのと同様、
上座に向かって祈願・決意を誓うものだと思っていました。
ちなみに、この柔道での「正面に礼」」については、講道館嘉納治五郎師範の
礼は他人に対して敬意を表する形式であるから、
形・乱取の練習や試合の前後には必ず行うべきである。
形も乱取もその事柄が争いであるから、
始める時にも終わって後別れる時にも敬意を表し争いは技術を練る目的でするが、
相互の間には尊敬し合っているという心持を示すのである。
を前提としているということで、神棚の設置については、
神道を宗教と捉えるかどうかが論点となったが、講道館では宗教ととらえ、
これから離れることを適当としていることから、
戦後、神棚の設置は行わず、正面には神前ではなく、
嘉納先生の写真が飾られているので「正面に礼」となったとのこと・・・・・
「神前」となると「特定の宗教崇拝となるのか」云々、
いろいろ難しい問題があり、
オリンピック競技でもある世界の柔道、様々な国や宗教への配慮なのでしょう。
日本の武道という意味では、その由来からやる方が自然であり、
自己の祈願、決意等をそれそれ「自分の神様」に表すものでいいと思います。
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土曜日18時30分から 枚方市立長尾中学校
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日曜日17時00分から 枚方市立招提小学校
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